【ロックへの道(仮)⑦】~「めんたいロック」に「ハマる」どころか漬け汁の中をクロールで泳いでた~

ロックへの道(仮)

ども小池整体コイケタロウです。

 

ここまでなんやかんや言ってきましたが、ワタシが10代なかばから高校出るまで主にハマってたのはいわゆる「めんたいロック」の系譜でした。

80年代初期に九州博多地方から出たバンドの通称で、ボスがサンハウス、フォロワーがARB・モッズ・ルースターズ・ロッカーズでした。

高校出るまではほとんどこればっかり聴いてたし演ってたし見に行ってたしバンドのオリジナルもこの辺に多分に影響受けた曲ばっかり作ってたんですけど、今思えばやっぱり自分がバンドやってて日本語だしカッコイイし拙い技術でもギリでマネできた、っていうのも好きだった大きな要因だったんだろうなと思うわけです。

中でもダントツに好きだったのが俳優の石橋凌がボーカルだったARB(アレクサンダーラグタイムバンド)だったっすねぇ・・・

中3の時友達が聴かせてくれたARBのリリースされたばかりの3枚目のアルバム「Boys & Girls」で火がついて、当時もうバンドやってたからベースは当然コピーするんですけど、神奈川のテレビ番組に出演したこの動画の時のテープの音源もらって聴いたとき心臓に矢がぶっ刺さって、そこから当時のベーシスト野中”SANZI”良浩を”神”とあがめるようになります(笑)

このライブのベースの音は今でもホントにカッコいいと思ってますし、自分のめんたいロックへの入り口はここだったなと思います。

そしてコイケ少年はこのゴリゴリの音を再現するべく悪戦苦闘するんですが、当時使ってたのはギターのやつの兄貴に借りたグレコのSGベースで基本的にボヨンボヨンの音しかどこをどうやっても出ないのよーという代物だったため挫折し、野中SANZIが使ってたプレシジョンベースを金貯めて高1で買って青春の音楽ライフをやっと本格的に謳歌し始めるわけです。

でもアレですね、「無理ゲーであることに全く気付かずにそのままなんとかしてやろうと思ってあくせくする」っていう経験は若い時にやっといてよかったと思うんですよね。

いくら努力してもやり倒してもうまくいくシステムじゃなきゃダメなものはダメなんだって、やりきって初めてわかるわけですよ。

極端かもしれないですけど、「どうしたらああなれるのか?」を一生懸命考えた最初の経験だったかもしれないです。

ライブハウスにARB見に行って、次に出るニューアルバムのこの曲をテープで録ったのをコピーしてアルバム発売前に自分らのバンドのライブでやったり(笑)とか、まあとにかく大ファンなバンドでした。

でも実際一番熱かったのはこの収録アルバムの「トラブル中毒」までだったかもしれないです。

サンハウスは世代が一つ前だったのであまり聴いてなかったですが、その他のバンドはワタシが中高の時にみんな2,3枚目のアルバムを出してた頃で勢いが最高潮だったんですよね。

そことリンクしてワタシはめんたいロックという漬け汁にどっぷり漬かり続けていくんです。

ほかのバンドにもそれぞれ思い入れはあるんですが、長くなるのであえて書きません。

ホントに長くなるので・・・(笑)

ほんでもって極めつけは16歳でこういうとんでもない映画見ちゃったもんだから、ある意味人生狂ったところがあるかもしれないっす・・・

先述したロッカーズ(現俳優の陣内孝則在籍)とかルースターズとかスターリン(これは書くかも)だとかのメンバーがこぞって出演してるパンクムービーだから見に行ったんですけど、中身はほとんどない無茶苦茶な映画です。なので見てない人は別にわざわざ見なくていいです(笑)

ただなんだろう。問答無用で当時の自分は強烈に「カッコイイ!!」と、感じた。

「カッコイイ」に基準も理由もないじゃないですか。それをそう感じるかどうか?しかないので。

そういう意味では無条件にカッコいい映画でした。

中でもねー映画の冒頭で楽屋からステージに出ていくメンバーが通る通路に落ちてるビートルズのポスターを次々に踏んでいく場面。これシビレました。

別に自分は、ビートルズ?FU*K!とか全然思ってないんですけど、なんかそういう描写がね、「オイオイ、そこに中指立てんのか~い!!」みたいな。サイコーでしたね。当時(笑)

もうそうなるとあれだけ昔聴いてたフォーク・歌謡曲、当然アイドル、なんかはロック少年にとっては一気に全っっっ部「ダサい」部類に入るわけです。

サザンも安全地帯も全部。当然それ聴いてるやつも全部。とにかく全部。「ケッ!」とか言って。

サザンとか安全地帯とかはホントに大人になってから良さがわかるようになった。

だから今はものすごいリスペクトしてますけど「夢中になる」って何も見えなくなる・・・怖いですね・・・(笑)

 

83年にリーダーでギターの田中一郎が脱退するまでの時期がワタシにとってのARBで、その後のギタリストが入って出した1枚まで聴きましたが高校卒業するぐらいで熱は冷めました。

めんたいロックのほかのバンドも同時に自分の中でスッと終わったかな。

まさに青春のムーブメントだった。

同時期にクロスオーバーしてた実質この次の世代のBOOWY(ボウイ)とか横ノリのストリートスライダース(この辺はあえて別に書こうかと思います)はまだ聴いてましたが、大学入ってチョットするぐらいでそれも冷めてきて今度はどんどん洋楽一辺倒になっていきます。

 

<続く>

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