すべてには終わりがありそれはいつも突然やってくる

雑感

ども小池整体コイケタロウです。

 

ワタシはほぼ20年前から多動症「だった」男の子「Yくん」の施術をしているのだが、それが先日終わった。

厳密には「いったん停止」なのだが、実質的には終了ということになるのかもしれない。

毎月1回診ていた予約日に普段ならご両親とともにくる彼が、お母さんだけ付き添いでいらっしゃって今後は一度施術を休止したいと。

なぜならこのたびお父さんが非常に重い病気である可能性が高いことがわかり、体調もだいぶすぐれないことから今後はそのサポートと引き続きYくんの世話と最悪の不測の事態に備えた準備など、急激かつ予測不能な展開が予想されるであろうから、という理由なのだが、きわめて当然というか、逆にそれに集中しなければならない状況であるのは間違いない。

状況的に中心になって動けるのがお母さんだけであるわけだから、第一は過労もしくはメンタルで倒れるようなことがあってはならない。

 

幸い、というか彼の多動症としての症状はずいぶん前から落ち着いており、左足の強度の内反の改善であるとか体の可動域向上の継続的な確保に施術内容としてはシフトしていた。

ご両親にもYくんに対して自宅でできるケアをあれこれ指示して実施してもらうことで、手の動きや皮膚の質感の改善など目を見張るほどになっていたりもしており、言語はいまだ話せないにしても親子のコミュニケーションとしては昔とは比べ物にならない状態に良化していることにワタシも安心していたとともに、これからもこういう感じで月1回の定期施術を続けていくものだと思っていた。

しかし改めて思えば最初に彼に4歳で出会った時からほぼ20年が経過しようとしている。

時間は知らぬ間にそれほど流れていた。

皆一様に年を重ねれば起きてくることも多々あるのだなと改めて思う。

ふと思い立って当時書いていたブログを読み返してみたが、ほんとに開業間もないころの整体師などによくお子さんを任せてみようと思っていただいたなと。

障がい児に関すること

Yくんとご両親には本当にたくさんのことを教わった。

最初にYくんを施術する日に向けて、そういう障害がある子に適応できそうな技術の資料をできるだけ用意して臨んだのだが・・・そんなものはすべてその場で吹っ飛んだ。

まったく何の役にも立たなかった。

まず暴れて叫ぶ彼を何とか落ち着かせて、とりあえずなんとか体を触れる状態にすることから始めなければいけなかった。

単に寝かせるだけで1時間かかったこともあった。

結局こういう子供を施術するのにまず大事なことは理屈でも技術でもない。

モデルケースではなくその子自身をまずよく見る・知ることから始めるということと、なんとかこちらの思い通りにしてやろうという欲をいったん脇に置くことだ。

感覚が鋭い彼らはそういう欲に対して素早く反応してこちらの侵入を即座に拒否する。

でもこれは何も障害のある子だけにとどまるのではないことにしばらくして気づいた。

いわゆる「普通」のクライアントに対しても同じことが言える。

普通の人はそういうものを感じてても忖度して言わないか実際感じないかのだが、体は無意識で反応してたりする。

こちらがそこをなめてかかってるうちは、思ったような結果に双方がたどり着けないことに結局は繋がってしまうのではないだろうか。

これは何も施術だけにとどまらない。

人と人との接触や付き合いにおいても同じことが言えるのではないか?

それは本当に彼から教わった大きな気づきの一つだった。

 

障碍児施設やそこでの家族や医師の世界の闇や現実についても随分話を聞いた。

たくさんの納得いかない制度があり、たくさんの憤るべき現実があり、たくさんの悲しみがそこにある。

のだけど、普通なら同情を禁じ得ない環境の中でもしっかり幸せは存在することも事実であって、そこは何も知らない者が勝手な憶測で幸か不幸かを決めつけられるものではない。

彼らはそんなに弱い存在ではない。

そういうことも実際彼らと長く付き合う中で教えられたことだ。

 

お母さんにはくれぐれも無理をして背負い込んで壊れることがないよう、何かあればいつでも相談してくださいと伝えた。

さすがにね、20年も付き合うとこうなるといろいろと思うこともあります。

ですがこちらは何かあればいつでも力を貸せる状態でいながら、幸せに生きてってほしいなと願うだけ。

です。

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