雑感 <2>相続と空き家の話

雑感

ども小池整体コイケタロウです。

 

最近は都会でも放置された空き家が増えてるって話ですが、放置ではないんだけど母方の山梨の田舎の家をどうしようって話になってまして。

最初は祖父母が住んでて昔は盆と正月には親戚一同集まってましたが、

30年前ばあちゃん亡くなる → その後すぐじいさん亡くなる → しばらくして叔父叔母が移住 → 5年前叔父が亡くなる → 叔母が一人で残る予定が病気で東京へ → 昨年亡くなる

ということで実質5年前ぐらい前からだれも住んでない状態で、いろいろ補修はしてるものの、木造でポットン便所の築60~70年オーバーの家屋。

なんつっても日本で一番人口が少ない、現在町民が1000人を切る過疎の町である、山梨県南巨摩郡早川町ってとこなんですけど、まあ特にこれといった観光名所があるわけでも何かで特別有名ってわけでもない。

自然は変わらず素晴らしいと思うけど、ワタシが子供のころの、川べりに蛍が無数に来たようなレベルの自然ではもはやない。

今回、JR東海が建設中のリニアモーターカーの工事の残土処理を早川町が受けるという話の中で、その家を解体して現在家の下にある河原を埋め立てた上にキャンプ場を新設する、という説明会におふくろと主権者になる従兄弟と3人で行ってきた。

こういうこともコロナで自分の仕事の都合がつけやすい状況だから随行できた部分もある。

それにしても。

じいさんばあさんが亡くなって空き家になってた頃にワタシが20代で夏に友達大勢連れて行って遊んだ家も、しばらく見ないうちに今ではもう人が住める状態ではなくなって朽ちてしまった。

ワタシは見てないけど家の中に入って確認した従兄弟によると、ネズミのふんとカビだらけで宿泊するのは無理だということで。

もうすでに自然の一部に還りかけている。

 

 

まあこの家には幼いころの人格形成をたっぷりさせてもらった。

川や山との遊び方、猟銃を撃った時の肩に残る衝撃、それでオジサンが獲ってきた山鳥の味、本域で「一寸先が何も見えない」という本物の闇、本物の満天の星空、極寒の中ショベルを担いで川を渡って取りに行った冬の沢蟹の唐揚げの味、ばあちゃんが皆を想いながら打ったそば粉100%のそばの味、七輪で焼いたトウモロコシの格別のうまさ、河原の流木を大量に集めて夜にやった天まで届くような業火のような焚火、泥酔した二人のオジサンたちのゴジラ対メカゴジラばりのプロレスのリングサイド観戦、夏場のシイタケの原木の切り出しと作業後の冷えたビールのうまさ(小6の時)、初夏の梅の実の収穫の手伝いと部屋中に広がる梅の匂い、澄んだ水の井戸で冷やしたスイカの冷たさ、劇的に苦いモノホンのキュウリの味、薪をくべて沸かす風呂、いとこ同士のパワーバランスの学び、などなど。

あれが全部なかったとしたら自分は今いったいどういう感性の人間になっていただろうか?

などと考える。

 

 

JR東海と早川町の話では、道路より一段下がったこの家を解体してその土地を、10メートルほど下がった崖下に残土を運んで道路の面まで面一に埋め立てして広大なキャンプ場を造成するためのダンプの通り道にしたいと。

ついてはその通り道のわきに解体した家の代わりに簡易な家屋を新たに建てて差し上げたい、というこちらとしては願ってもない条件。

土地家屋に関する権利関係の整理等の諸事もJRと早川町で行ってくれるという。

祖父母と叔父叔母の墓が近くにあるので、墓参りをしたついでに1泊できるぐらいの設備がある家があることは親族としてはありがたい。

もらった資料では工期表で5~6年後には完成予定とあるが、うちの親父あたりは生きてるうちに見れるかどうかはなはだ怪しいが・・・(笑)

当方は反対する理由も意味もないので、この方向で話を進めてもらうようまとまった。

 

 

こういう田舎はもちろん、都会でも空き家が増えるのは、権利関係を追う手間と解体にかかる費用が主な理由になっている。

解体するだけでも下手すると200~300万かかることもある。

で、こんな田舎だと何世代も放置されて相続もされてないがゆえに権利者がネズミ算的に増大して実質追えないことが多かったらしいのだが、最近ではある一定期間税金を払い続けた人が権利者として認められる流れになっているらしい。

思い出を大事にすることは尊いことだが、実際ここで何らかの決着をつけないとその後の世代に先送りすることになるわけだから、時の移り変わりとともに消えてゆくものとしてとらえるほかないんだよなと。

感傷的に少しなりながら、そう思って田舎をあとにした。

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