年末年始で死について考える

ども小池整体コイケタロウです。

あけましておめでとうございます。

もうずっと酒飲んでる!みたいな正月はやめよう!

なんて少しだけ思ってたけど結構飲んじゃって(笑)、まあ身体動かしたりそれだけでもなかったからいいか・・・という2020年の年明けを迎え5日から仕事しとります。

前回「クリスマスプレゼントいただきました」という記事で

【ブログ記事】クリスマスプレゼントいただきました

年末にとてもあったかい気持ちになったんでこのまま2019年がなにごともなく無事に終わってくれ!と書いたわけですが、自分のことではないですがいろいろありまして・・・

実際にはいろいろあったのは時間軸的には少し前で、ワタシが知ったのがクリスマスの後だった、ということなんですが、長いこと来てくれているご夫婦の旦那さんが下あごの骨が4分割で完全骨折するという大事件があり、これも少し前まで長いこと新潟から通ってくれていた女性のお母さん(も何度も施術していた)が3月に亡くなっていたことがわかったり。

下あご骨折の方はご夫婦で自転車が趣味で乗ってるんですが、ある日歩道への乗り上げで低速だったにもかかわらず顔からいってしまい、オペ後無事退院したタイミングで、ずっと首から顎を固定されていたので体中ゴリゴリだということで施術。

まだあごに固定のボルトが入っていたので首から上はほとんど触らずにやりましたがなんとかバランス取れたみたいで。

縁起でもないことではありますが、一つ間違えば悲しいことになる可能性はあった大きな出来事でしたからある意味では骨折で済んだのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

お母さんの方は前にがんの手術をしてから東京の病院で定期検診をするタイミングで、数年前から体調がすぐれない場合ついでに毎回のように来てくれてましたが、最近めっきり見えなくなったので年末にはがきで「元気ですか?」と送ったところ、女性の方からお手製の干し柿とともに手紙をいただいて3月に静かに息を引き取られた・・・ということが分かり。

「THE田舎のおばあちゃん」という感じの、話をしてるのがとても楽しいお母さんだったんですが、まさか・・・という感じで。

それとは別に今年の真ん中あたりにご紹介でいらしたがん闘病中のお父さんも秋に亡くなったばかりだったので、なんだか何とも言えない気持ちになりましたね。

ご家族もそのお父さんから勧められてウチに来てくれるようになって、お母さんと娘さんの施術もしていたんですがさすがになくなられた後、特にお母さんは肩を落とされて見ていて気の毒でした。

今まで診ていた方が亡くなったのは知ってるだけで4人ですが、ワタシが知らないだけですでに亡くなられている方もいらっしゃるでしょう。

病院ではないので比較的そういう機会は少ないとは思いますが、やはり体を触って会話していた方の訃報を聞くと切ない気持ちになる。

ただ少し前に常連の方と死について話をする機会があって。

賛否はあるけど尊厳死というものは基本的に社会に受け入れられるべきなのではないかと。

自分で生のスイッチを切る決断をする、ということは状況を考慮すべきだとは思うけど自殺とは違う。

自殺は基本的に向かうべきものから逃げる手段(卑怯だと断罪するものではないのです)として使うものだけれど、自分の人生にこれ以上の悔いはないとしてページを閉じることについては逆にその人の誇りを守ることになるのではないですかね、という話になった。

そしてたぶんそうである場合においては、「時が来て役目を終えたから逝かせてもらえる」ものなのかもしれないと。

何事にも「偶然」というものは無いのではないか。

ウチのオヤジは85になりましたが物忘れがひどくて酒も飲んでるけど身体は元気でまだあんまりすぐには逝きそうもないんですが(笑)、生きてる限りまだ何かしら人生において味わうべきものがあって、それは彼だけにとどまらず関係する私の家族なんかにも相応の意味合いがあるものなんだと思います。

去年亡くなられたお二方は最後まで懸命に生きようとされてたのですが、本当の最後には何を想われていたのかはわからない。

ただ最後に「向こう側に還る」ことを受け入れたんでしょうね。

昨年少々迷っていた自分のこれからの仕事は、残りが予想的に少なくなった方でもあきらめてしまうのではなくて、役目が終わるまでさらに自由に生きることができる手伝いをすることだとはっきりしました。

微々たる力ですがそういう想いで仕事をしようと思った年末年始でした。