ども小池整体コイケタロウです。
少し遅くなりましたが。
そしてちょっとだけど。
書いときたいかなと。
どっかで普通に復帰してくれると思ってたしなんだかそこは変に一つも不安に思ってなかったんですが、そこにはほぼ同年代だしというあやふやな期待とストリートスライダースのハリーが病気から見事に復帰・復活してツアーをやってるという事実もあって、でもそれは実際は何の保証でもなく単なる個人的な願望でしかなかったわけですけど、訃報のネットニュースを目にしたとたんギュッと体の芯が固まったのが分かりました。
なんでしょうね、涙があふれたわけでもなく、叫ぶわけでもなく、正直
「うわ マジかよ 」
からフリーズするだけの自分がそこにいただけ、というか。
悲しみを覚えてないわけではなく、落胆してないわけでもなく、それらはちゃんと感情としてあるんだけど、同時にすぐに「ああ、最後には納得して逝ったってことなんだろうな」と、ファンからしたらふざけんなおまえなんぞに何が分かる、と言われそうな思いが自分の中に自然にふっと湧いたんですよ。
それが真実なのか違うのかはわからないけど、ワタシの個人的な自然な受け取り方という意味ではそうだったというだけの話で。
あるミュージシャンが言った言葉でこれはホントそうだと思ったから人にも言ったことがあるんですけど、思い切り刺さったのがあって、
「誰でも10年後確実にカッコよくなる方法がある。それは自分がカッコいいと思うほうをずっと選び続けることだ。」
ってやつなんですけど、たぶんチバはそれを最後までやり続けたんですよね。
デビュー当時の音楽のトレンドから外れた「時代遅れ」とも言われたスタイル、ステージ衣装はスーツか革ジャンしか認めない等、それは彼にとってミッシェルガンエレファントというバンドをドライブしていく際には必須の条件で、解散後ROSSOやほかのバンドで模索を繰り返して、The Birthdayで彼のその時点の「カッコよさ」にたどり着いたんじゃないかと。
貫いた
とかいうわけではないと思うんですよね。
多分そんなに気負ってたわけじゃなくて。
フツーに、というか自然に、というか。
それをただ「全力では」やってた
というだけなんじゃないかと。
だからたぶんですけど「ここで終わりなんだよね」っていう通達にも「あー・・・了解ー」なんて言って「納得して逝った」んじゃないのかな。と反射的に思ったというか。
ミッシェルの時はおっかなそうな威圧的な風貌と曲であの時のカッコよさが確実にあったんだけど、最後のチバは優しくて温かかった。
優しくて温かいって最高にカッコイイ。
冷たさにあこがれるような時が人生にはあるけど、でもそれってやっぱりどうしたって「若い」。
ホントのカッコよさは冷たさにはない。
上っ面のやさしさと温かさを演出してるようなやつには書けない曲をたくさん残してくれて、長年楽しませてくれて感謝。
たださ。
トムウェイツぐらいのジジイになるまで見たかったけどな。
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