ども小池整体コイケタロウです。
遅々として進んでない当シリーズですが、まあライフワークではないけれど書きたいときに書く、というユルイ感じでやってこうと思ってますが、今回はちょっと雑感的な内容。
自分が1966年式の個体なので青春時代が80年代初頭から90年代なかばぐらいになるわけですよワタシの場合。
やはり誰でもそうですけどそういう多感な時期に経験してインスパイアされたものは、強烈にその後の人生に影響し続けるんですよね。
だからこのシリーズに関して言うと、どうしてもその辺りの音に類するものとかルーツにそれのエッセンスが入ったものにずっと反応してしまう傾向がある。
でもだからといって「どうもイマドキの音楽はグッとこないんだよね…」なんて言うつもりはないんです。
音楽のフォーマット自体はそんなにすごい変化をしてるわけではないけれど、最近の音楽を聴いているとやはり確実に進化と変化をし続けていることはひしひしと感じていますし感心することしきりです。
ミュージシャンになるんだ!、なんて思い続けなくてよかったななんて思ったりもするほど(笑)最近の人たちはホントにすごいと思う。
最近のアーティストではKing Gnuの「白日」とか米津玄師の「Flamingo」とかサカナクションの「忘れられないの」とかVaundyの「トドメの一撃」とか、素晴らしい曲で聴いてて気持ちいいし好きだし実際アルバムも買ってみてる。
だけど
ですね
アルバム通して聴くとですね。
ちょっとね「濃い」んですよね。味が(笑)
世界の中でも東京の料理は美味いと言われてます。
だけど毎日食べ続けられるかというと味付けが濃いことが多いので、毎日食べるとかそういう料理ではないのかもしれない。
昔台湾に旅行に行ったときに1発目に食べた料理がね、味が薄くてなんだか思ったより美味しいと感じなかった。
だけどほぼ1週間食べ続けてたらだんだん美味く感じるようになって、最後の方にはいくらでも食べられる感覚になったんですよね。
なんかそんなような(どんな(笑))感覚を昨今の優れた楽曲群にちょっと感じたりする。
別にこれはディスってるわけではなくて、どっちかというとハッキリと自分が時代とズレが生じてきてる証拠なのかも、というか。
もうひとつは時代によってのアナログからデジタルへ移行していった録音事情も大いに関係があると思います。
青春時代に聴いていた曲の録音された音質感とメディアがレコードで家具みたいなステレオででかいスピーカーで聴いてたり、ということが自分の耳を作ったわけですからどうしてもその記憶をベースにしているわけです。
かと言って自虐したいわけではなく何が言いたいかというと、聴き方を変えていくことになっていくんだろうなということで。
最新の濃い味を見つけてはたまにちょこちょこ味わいつつも、自分のすぐそばには毎日食えるダシの効いた食べ慣れた音楽が常備されてる感じ。
でもねぇ、そんな中で最新なのに毎日食える系の音楽も少ないけどある。
ワタシにとってはそれがいまのところ藤井風なんですけど(笑)、彼の音楽は仕事中に掛けっぱなしにしていてもなんだか邪魔をしてこない。
なんだけどキッチリ向き合って聴こうとしてみても、優れた楽曲としてアルバム全編通して楽しめる。
こういうミュージシャンは実はそう多くないように思います。
ただ彼が聴いてきたルーツミュージックが、ワタシなんかが通ってきた時代のものとかなりの部分で被ってたりすることもそのひとつの要因なのかもしれない。
楽曲は新しいのに妙に親和性が高いというか。
だからワタシよりも年齢が高い人たちにも絶大な人気があるのかなー
ま、そんなことを思いながらオジサンはいろんな音楽を楽しんでますよという雑感です(笑)
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