【ロックへの道(仮)③】~ジョー・ジャクソンにずっとついてって、学んだ1~

ロックへの道(仮)

ども小池整体コイケタロウです。

 

70年代後期、80年初期ぐらいに世界も自分も盛り上がってたのがパンク・ビートロックなんですけど、ホントにこのころは影響受けたバンドがスゲー多かった。

ポリス、クラッシュ、ジャム、あたりがデビュー&台頭しはじめた頃、個人的にめちゃめちゃ影響受け倒したバンドの一つがジョー・ジャクソンだった。

ファーストとセカンドのアルバムをほぼ同時ぐらいに聴いてまさにシビレまくったわけです、ワタシは。

何がそんなにしびれたのかっていうと、まずとにかくグラハム・メイビー先生のベースプレイ。

こんなにもドライブ感あふれるカラフルなクッソカッコイイベースがあるんか!!と。音色もね、なんかスゴイ独特だったわけです。

8ビートの曲においてこれだけ曲を引っ張り上げて疾走感を感じさせるベースプレイは、なかなか聴けないと思ってる。

なんならBOOWYの松井よりも全然上だと思ってる。ま、上とか下とかないけど。

太いんだけどスカスカっぽい感じもしてハリはあるんだけどやっぱ太い・・・みたいな不思議な音で。

当時のロックベーシストはたいていフェンダーのプレシジョン使ってたし自分もそうだったんだけど、そしてメイビー先生もそうっぽかったんだけど、いろいろアンプでイコライジングしてもどうにもビミョーに同じような音が出ない。

のちにこれは真相が判明するんですけど、メイビー先生は当時は多分フェンダーではまだ製品として作ってなかった、プレシジョンベースのリアにジャズベースのピックアップを増設したいわゆるPJベースを使用してたわけです(マニアックでスンマセン)。そして納得。

のちに書く予定の、最初に影響受けたおした日本のバンドのARBの時も同じ経験したんですけど、コレまた来たかと。またか、またなのかと。

だからもうこれは絶対おんなじ音なんか土台出るわけないという無理ゲー再びだった・・・というオチでした。

でも思えばそこでもあれこれ探求して試行錯誤して理解していくっていう良い勉強さしてもらったんです。

 

 

しびれたのはベースだけではなくて、ジョージャクソンのこの1st(’79 アメリカでゴールドディスク)と早くも同年の半年後に出た2ndのロックアルバムは個人的に全く捨て曲がなかったことで。マジで全く。

当時の肌感覚としてはアルバム10曲あったら最低3曲ぐらいはイマイチだったりするのがフツーだしなんならもっと多い時もあるもんでした。が。

なかったね、マジで(しつこい笑)

いやだからホントに全曲コピーしました、当然のように。おかげですごくプレイとフレーズの幅が広がった。グルーヴの感覚も随分鍛えられた。そしてホントにコピーしてて楽しかった。

楽曲がどの曲も絶妙にロックとポップがバランスしてる。

のちにわかるんですけど、ジョー・ジャクソンって実は音大行ってて結構ちゃんと勉強して、デビュー前は鍵盤でジャズクラブでやってたりずっとしてて、ああやっぱりそういう素養のある人だったのか、って妙に納得した記憶があります。

 

 

ほんで3枚目に出すのが70年代当時かなりブームだったボブ・マーレーのヒットの影響でレゲエの色が濃いロックアルバムだったんですけど、この頃ってロックバンドがレゲエを取り入れるのが大流行してたんですよね。

ポリスもクラッシュもホントに同時期にそういうアルバムを作ってる。

でもダントツでバカ売れしたのはポリスなんですけどね。

或る意味ポリスは「卑怯」っていうか(笑)、セカンドアルバムの題名に「Reggatta de Blanc(’79)」(White Reggae(白人のレゲエ))ってつけちゃって収録曲の「孤独のメッセージ」で大ヒットとばしちゃってほかのバンド全部ぶっ飛ばしちゃったという・・・まあポリスも問答無用で好きなんすけど、これやられたもんで、ジョーも当時少しかすんだ感は正直あったようにも思うわけです。。

だからってわけではないんだけど、続く4枚目は自分としてはとんでもなく予想外の内容になってたんですよね。

でも逆にこのアルバム以降はジョーがホントにやりたかったかもしれない方向へ歩みだした分岐点だったようにも思います。

(2へ続く)

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