ども小池整体コイケタロウです。
個人のフェイスブックの方には書いたんですが、最近いろいろ面白いことが起きまして。
<以下フェイスブックの掲載文>
高校の同級生の女子と大学時代のバンドメンバーが現在組んで仕事をしてることがわかり、しかも米子在住の彼が先日東京に来るというので30年ぶりの再会を先日果たし私の行きつけのバーに招待し当時のバンドや高校の話をして彼らと楽しい夜を過ごした訳だが、本日少し前にツイッターでフォローされた方のタイムラインにそのバンドの名前が上がっていて二度見したがやはり見間違いではなくどうやら彼は当時渋谷ラママにオリジナルラブ目当てで行ったところ対バンだったうちらのバンドを目撃しておりライブをテープに取ってあったのをここ最近改めて聴いて非常に感激してくださって情報を集めるためツイートしてたところだった模様。
そしてそこに情報提供していた方とやり取りしてたところに私が乱入して色々話してみたらなんとその情報提供者の方は私が別でやってたバンドと昔対バンしたバンドのベースの方だったということが判明しさっきまでツイッターでめちゃめちゃ盛り上がった・・・
という。
87年あたりから90年ぐらいの話ですが、いわゆる「渋谷系」と言われたあたりの東京のライブハウス音楽シーンの直中にワタシはあるバンドで参加していて、ロリポップソニック(のちのフリッパーズギター)やオリジナルラブなんかと対バン(いくつかのバンドでライブハウスに出演すること)してたんですが、この方もその中で活動してたということで。
いや、「昔はさぁ、俺もねぇ・・・」なんて腐ったオッサンのような話をしたいわけではないのです(笑)
ただ昔夢中でやってた音楽活動が時を経て今もこうして何らかの動きをもたらすことに驚いているというか。
自分で作詞や作曲をしてたわけではないから偉そうなことは言えませんが、あのバンドはハッキリと可能性を持ったバンドだったと思います。
後期に一緒にリズム隊を組んでたドラマーとはツイッターや年賀状(笑)ではつながってたんですが、これがきっかけでいろいろやり取りをツイッターでしてる中で昔のライブ音源をもらえたので改めて聴いたんですが、やっぱりすごくいいバンドだったんだなと。
自分のプレイもこのドラマー(初期オリジナルラブに在籍してたAさん)と組んでから自由にのびのびとドライブするベースを弾けるようになっていたのがよくわかりました。
なんかね、そういった当時の音源や周辺にいたバンドやなんかを思い出してその中に自分を置いてみると、自分のエネルギーが変化を起こし始めるのがよくわかります。
当時の自分のエネルギーに同調するというか。
なので少しまた楽器をいじってみる気になりました。
件の方はタモリ倶楽部に出演した美術石膏モデル制作会社の社長さん。
高田馬場にほど近い雑司ヶ谷にいらっしゃるということで機会が合えばお会いしましょう!という話にもなり。
人生って面白い(笑)
情報収集してたその方とやり取りする中で彼がつい最近バンドについてまとめてくれたコラムがあるのでよかったら読んでみてください。
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