自分が今いる場所はどこなのか「感じてみる」

人とのかかわり

どもコイケタロウです。

 

先日同年代の友人たちと飲んだんですが、その席で、いま付き合ってる人が、昔色々あったこっちの過去を許せなかったり彼の人生では当たり前だったことを今そのまま自分にも当てはめてくるのでちょっとキツイ・・というような話になり。

いろいろ話を聞いてると、その彼はしきりに「20代のころにもう一度戻りたい」と言うと。

逆に彼女は「50になったけど今が一番だから20代のころに戻ってあれをまたやるのなんてとんでもない」と。

これものすごく簡単に言うと、「居る場所が違う」ということになるんですね。

「生きてる場所」とでもいうか。

だからこの二人結局この先うまくなんていかないよ!ということでは全然ないんですけど、自分がいったい今どこにいるのか?に気づく必要はあるかもしれない。

 

人は全員「今」に生きてるように思うかもしれないけど実はそうでもなくて。

「良くなかった過去」のことを何年も経った今でも思い出し続けて苦しんでいたり、「良くない未来」を想像して恐怖と不安におののいていたり。

「良かった過去」のことを何年も経った今でも思い出してひたすら懐かしんでいたり、「良い未来」を想像して夢と希望のなかで生きていたり。

 

 

こういう絵で見るとわかりやすいかもしれない。

良い未来=A

悪い未来=B

良かった過去=C

悪かった過去=D

ということになります。

 

思うんですけど、人間ってこの円のいろんなところを行ったり来たりして生きてるんじゃないかと。

当たり前ですけど、想像したり振り返ったり悲しんだり喜んだり予測したりするわけですから当然この円のあらゆるところを動き回るわけです。

そして人によっては例えば「C=良かった過去」で主に生きてる人もいる。

昔は良かった、楽しかった、あの時の自分はすごかった、こんなことで脚光を浴びた、という思い出にしてそれをベースに生きてる。

そして自分はあの時よかったしそれが当然だと思うから今もそうしてるし、だからあなたも同じようにした方がいいしなぜそうしないのかわからないと言う。

人によっては「B=悪い未来」で主に生きてる。

もしかしたらこうなってしまうのではないか、こうなるのは嫌だ、みんなもそう言ってるしそうならないようにするにはどうしたらいいのか、という恐れをベースに生きてる。

そしてそれをほかの人も同じように恐れを味わって共有してもらいたいと考える。

 

これは・・・悪いわけではないし役に立つときもあるけど、でもどこか何か「違和感」を感じるんじゃないかと思うんですね。

それは私が思うに、その人たちが「今=現在=現実」を見ていないからじゃないかと。

相手の今、自分の今、周囲の今。

さっきの図ではどこかというと、ここ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

人でも自分でも、ここにいない、ここを見てない、というのはそれに接する側からしたら違和感につながる。

A~Dからだけの言葉というのは、考えてみるととても足元があやふやで不確かなものではないかと思うんですね。

いろんなところには行くんだけど、基本「今に居て今を見ている」という感覚も同時に持っている、というのは実はいろんなことにつながって前に進んでいける。

相手の過去を許せない、というのは相手の今を見ていない。

自分と同じようにしないのは許せない、というのは相手の今を見ていない。

相手のこれからを信用できないし不安だ、というのは相手の今を見ていない。

というのは逆に言うと、実は「自分の今を見ようとしていない」ということです。

これはね、偉そうに言ってますが私も散々いろんな人にしてきたことでもあります。

 

こんな仕事してますからこの図のことを思いついた時に確認したくなったことがあって。

最初に普通に筋力のテストをしてノーマル状態を見ておいてから次にA~Dの場所にいることを順にイメージさせて同じテストをすると、軒並みチカラが落ちるんです。

特にBとDは顕著。

AとCは悪くはないけどそれでも意外とよくはない。

そして一番しっかり力が入るのは、自分が真ん中の点(今)にいるイメージをしたときです。

敏感な人なら呼吸でもわかるかもしれない。

BとDはわかりやすい苦痛なので、イメージしたときわかりやすく呼吸が苦しくなるから感じやすいかもしれない。

 

だからあえて「強さ」という言葉を使うけれども、「強い人」の感覚にはいつも「今=現実」があるのではないかなと思うんです。

苦しいことや悲しいことがあった過去は忘れないけれども越えてきたそれらはもう「過去」であって、それを財産にしながら今に立って生きることで、「A=良い未来」を見ながら進む。

これはしなやかでありかつ強い。

人間だから時に真ん中を外れてしまうこともあるのは当然だけど、やっぱりその感覚を持っていればいずれそこへ帰ってこれる。

だけど真ん中の点の感覚がない人はどうしてもぶれてくるしほかの人から現実を突きつけられると逃げてしまう。

なぜならどうしても真ん中を「見たくない」からです。

 

思うに実はたいていのことって現実をちゃんと見て素直にそこから解決を模索すれば簡単に済むんじゃないかって。

相手をよく見てよく話して状況よく見て今使える材料を全部出して「で、どうする?」ってやれば、まあどう考えたってこれしかないよね・・というのが勝手に分かってくると思うんです。

それができなければ「こうであってほしい」を交互に連発させて最後に大爆発で終わり。

そんなことがとても多いんじゃないのかなぁ・・・
だから先日飲んだ友人にも「A」がやってくるといいなと思うんですけど。

 

なんて、とても簡単に書いてますが、そんなにハッキリしたことだけで済むわけないのはよくわかってます(笑)

でもね、とても大事なことだというのもよくわかってます。

今は。

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