ども、コイケタロウです。
少し前にある人から「本当の自分になれる方法を知っているか教えてくれる人はいないか」と聞かれたんですが・・・
「本当の自分」、とは・・・なんぞや?・・・
その方はとてもまじめで多分長いことそのことで悩んでいた、もしくはいるのだと思います。
ただ
それは「考えて」わかるものでも人から「教えて」もらうものでもない。
と個人的に思うわけです。
そういうことを教えてあげますよ!とか、こうすればなれますよ!とか、お金を出して提供しているところも人もいるし、実際そういうことが役に立つこともあると思う。
ただ多くの場合その時はわかったような気分になったりすごく高揚して救われた気持ちになるけど、しばらくするとまた「これが本当の自分なのだろうか・・・」と考え出してまた何か別のものはないかと探し始めるというのがほとんどなのではないかなと思うわけです。
それはたぶん、「自分で得たもの」ではないからなんですね。
周りの人や物はきっかけはたくさんくれるけれど、それに反応して外に出力して最後にポッと頭の中に灯りがつくには、自分の中に閉じこもって考えてるのではなくて外の世界と行き来しながら実際動いてめんどくさいことを散々やり倒す・・・、という作業が必要なんですたぶん。
そして経験積んでわかってきたらすごく簡単に事が運ぶようにどんどんなって行く。
そういうけっこう苦しい悩みを一発で解決するとするなら、そういうのが何も必要がなくなるところへいくしかないわけで。
「あっちの世界」、ということなんですけど。
その人にもそう言いました。
それはそんなことで悩んでるならとっととあっちの世界へ行った方がいい、ということではなくて、生きてる限りそういうことは付きまとうし、またたぶんそういうめんどくさいことをあれこれやってすぐには報われなくてもがいて苦しんでやっと気が付いてハラでわかって次に進んでいってまた次のが表れて気が付いたら成長してた・・・、ということが生きる意味だし、そうすることで自分がいったい何者なのか?というのがだんだん皮をむくようにわかっていくということなんだろうなと思うんですね。
だからそこは基本、単純に簡単に人に答えを求めて安心したり納得したりしていいところじゃない。
自分以外の人やものや出来事とのやり取りの中で「自分でわかっていくもの」なのではないかと。
そのために自分の周りに友人や家族や恋人や伴侶や師匠や弟子や世界が配置されている。
結構きつい作業ではあるんですけど。
「自分が一番見たくない自分の部分」を見つめないと本当のことなんてずっとわからないから。
辛ければ逃げてもいいしやめてもいいけど、残念ながらずっとそうしてるとずっとわからない。
どっかでそこに向かわないとわからない。
だから答えはワタシが言えるものでもないから言ってないんですけど。
本当の自分を教えてくれるとこも知らないので。
でもホントは多分すごく単純なことだと思うんですよ。
べたべた沢山張り付いた自分じゃないものを剝がしていければエッセンスが出てくるんで。
何かたりないものを加える、というより、余計なものを引いていく、というか。
でも口で言うほど簡単ではないんだけど。
ちょっとね、何言ってるかわかんないかもしれないんだけど(笑)、メッセージということで。
伝えたかったので。
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