ども小池整体コイケタロウです。
ワタシのオヤジ八弥(はちや)は知ってる方は知ってるんですが、昭和一桁生まれにしてはなかなかに得難いファンキーな男でして、ご興味ある方は以前書いたこちらの記事を読んでいただければと思うんですけど(読みづらいかもなので近いうちにこちらのブログに改めて転載します)
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先月10月28日に還らぬ人になりました。
最終的には咽頭がんですかね。享年90歳。
ここ1,2年は特に単なる物忘れレベルではぜんぜんないけども、妻子が誰なのかわからんレベルではない認知症というのかな、だから話すと普通に会話はできる。
5分前に話したことは覚えてないけどね。
という感じでした。
それでも1年前ぐらいまでは体はそこそこ元気で散歩にも行ってましたが、ここ最近はそれもせず家にいることが多くなり。
で、9月の末ごろに「のどが痛い」と言い始めて欠かさなかった晩酌のビールを飲まなくなったので、母親が近くの耳鼻咽喉科に連れてったら総合病院での診察を勧められ、診察に行ったのが10月6日、再度詳しい検査を10日にしたらガン末期という診断。
そこからどんどん食事も飲み物もあまりとれなくなりトイレには自分で歩いて行ってたものの寝ていることがほとんどになり、寝起きが困難になってきたので介護ベッドを導入、母親が介護するのに限界になってきたので施設入所を検討し段取りが付いたので27日の昼に入所して翌日の朝には亡くなりました。
呼吸もだいぶ苦しくなってたようで大きく辛そうな呼吸を頻繁にしてましたが、のどの痛みも相当だったのかもしれません。
医者的には回復させる治療はもう・・・ということと私たち家族の意向で疼痛ケアのみをしてもらえれば、ということで積極的な処置はしませんでした。
というかもう出来なかった。
病状が判明してから1か月足らずで電光石火で逝ってしまいましたが、決めたら早いオヤジらしいと言えばらしいのかなと。
2日の日曜日に母親とワタシら兄弟夫婦と姪っ子だけで火葬式だったのですが…
はちや(八弥)がどんなオヤジだったか簡単に言うと…
自然が大好き
お笑い大好き
遊ぶの大好き
ギャグ大好き
子ども大好き
ビール大好き
宗教大嫌い
姑息なやつ大嫌い
お堅い変な常識大嫌い
な
心優しい繊細なオトコ
だったように思います。
だから式に参列した家族は全員オヤジがどれだけ楽しくていいヤツだったかを知ってる。
それはどんな時でも関係なく。
棺に寝ているオヤジに別れを告げながらみんなで花を入れて飾ってフタを閉めて。
そこから火葬するための窯に入るじゃないですか。
入れるところが見える場所にみんなで移動して、職員の方が
「…これから…故人が窯に入りますので皆様、どうぞお見送りください…」
って神妙な声で言ってくださって。
ってまあそれ当たり前じゃないですか。
こちらもそういうつもりだし。
で、見たらその窯って12,3個あってズラーッと並んでるんですけど番号が全部に振ってあって。
そしたらね、「八」弥の棺がスーッと入ってく窯がね
八番
なんですよ
もうそこで全員吹いて爆笑で(笑)
フツー送る人の棺が窯に入る時に爆笑なんかするわけ無いに決まってますよね。
でも
「ちょ、おいマジかよ!オヤジw」
「ウソでしょ!?もう・・お父さん(ヨメ)泣笑」
「やったなオヤジ、これは絶対やりやがったな…w」
「あー…ホントにもう最後まで…あはははは(母親)泣笑」
「ミラクル…じゃないね、仕込んだねコレ絶対w」
「ハッチー!www(姪っ子)」
ってなって、みんなワーワー言いながらめっちゃ笑ってるので職員の方も
「…えっ…何この遺族…」
ってなってて(笑)
これは読んでいただいてる皆さんにはオヤジのキャラを知らないから不謹慎だと思われるかもしれないし、そんなのただの偶然じゃないかと思われるかもしれない。
でもうちら家族からしたら
「オヤジ(お父さん)ならやりそう〜!!」
っていう出来事なんです。
もうニヤニヤしながらピースサインして
「どうよ?w」
って言ってるのが容易に目に浮かぶ。
自分の葬儀で笑い取りにいって語り草のネタ提供するとかマジでふざけんなよ(笑)って思うんですけど。
まあね…最後に決めてくれた、というか、最高の締めくくりというか。
そんなオヤジです。でした。
その夜床につく時にオヤジの遺影に向かって
「俺はオヤジの子供で良かったよ。ありがとな。もう好きなだけビール飲めよ。じゃあな。」
って伝えて眠りました。
これにてめでたく「はちやのはなし」は最終章、完結。
大団円。です。

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