ども小池整体コイケタロウです。
U2のことはけっこう書きたかったんですよね。
ポストパンクとか言われてたバンドだったし自分もそれ系のバンドやってた高校生だったこともあって、ちょうどその頃出た83年のU2としては3枚目のアルバム「WAR」を聴いたら、ゴリゴリしたシンプルなパンクな荒い録音の音に特徴的なギターの響きとボノの遠く響く声と何か惹きつけられるメロディーが非常にかっこよく感じた印象がありました。
表題の通り世界各地のいろんな形の戦争をテーマにしている社会的なメッセージを発信するバンドだったことも、そのころ同じ社会的政治的な歌を多く出してたARBにハマってたワタシとしては硬派なイメージが共感できてた要因ではあったと思います。
だからフツーに誰が好きだとか愛してるよとか言うだけに思えた楽曲にツバ吐いてたわけですね(笑)
次のアルバムは翌年に出てるんですが、そのころ自分的にはライブハウス出まくりの生活を送ってる中で焦点は国内のバンドに行ってたので華麗にスルー、その次に出たのが87年でこの時は自分はシャレオツ路線に傾倒してましたが、U2としては大ヒットとなった「ヨシュア・トゥリー」発売で、これはさすがに聴いたし初めの3曲で持ってかれる名盤だなと思いました。
ギターのジ・エッジのディレイを多用したサウンドもここにきて完全に確立された感もあったし、「WAR」から繋がってきた「U2としての」イメージやサウンドも完成したかのように思ってました。
・・・なんですが
「U2としての」、というのは自分も含めた大多数の人のイメージであって、80年代最後のアルバムのヨシュア・トゥリーを境に90年代からU2は変化し始めるんですよね。
90年代ってロック的には・・というよりレコーディング機材的な部分でデジタル化がものすごい勢いで進化し始めたときでもあって、楽曲もそれを応用したものが多く台頭してきたんですけど、片方でそういう流れに逆行するような反骨心あふれる本来のバンドサウンドを目指すグランジという流れも出て来てて、まあ有名なところではニルヴァーナとかなんですけど、U2的にはそっち行くんだよね?みたいな風に思ってたら、オイオイなんだかデジタル行きの電車に乗ってませんか?大丈夫ですか?硬派じゃなかったんですか?みたいな、まあ簡単に言うとそういう進み方をしたんですよね。
91年の「アクトン・ベイビー」はそうはいっても内容良かったしまだ安心して聴けたんですけど、次の「ズーロッパ」でワタシは途方にくれました。
買って聴いたけど、結局売りましたもん(笑)
このあとの「POP」でなんというかU2の「デジタル初期3部作」が出来上がる感じなんですけど、ズーロッパは過渡期というか実験中というか。たぶん。
萎えたワタシはそれでしばらくU2からは離れたんですけど、97年の発表からだいぶたってから「POP」を聴いたワタシは、たまげたというかうれしかったというか何とも言えない気持ちにさせられるんですけど、ある意味3部作でU2の進化を遂げたうえでまた進んでるんだな、というのが結構はっきりわかる内容という印象だったんですよね。
まあつべこべ言うよりなにより、無条件に「カッコいい」。
個人的にはU2とのアルバムとしての関係は実質的には「POP」までなんですけど、自分の中での不動の場所を確保されてるバンドになってます。
したら今度の3月に今までの楽曲40曲をリテイク新録音したアルバムを出すと!!
・・・硬派のU2も商売がうまくなりましたね・・・(笑)
まあそれはジョークですが、最初にWARを聴いたときのエッセンスがやはり今でもU2としてのコアであって、それは時代を乗り切ってトップに上った不器用なバンドしては、というかそうだったから変わらなかったんだなと思うわけです。
残っていく
って結局そういうところなのかもしれません。
<続く>
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