ども小池整体コイケタロウです。
夏はレゲエの季節なんてよく言いますしそれはワタシも賛成で、聴くとやっぱり夏感がアップするんでいいんですけど、ほかにもいろいろある中で特にシャーデーの歌声は酷暑もさわやかにしてくれる感覚が個人的にとてもするんですがどうでしょうか。
ちなみに別にいいんですけど夏っていうキーワードをそのまま使って主にその季節にしか出てこないようなバンドはワタシは逆に夏を感じないんですけどそのへんどうなの(笑)
つーか85年のデビューからもう38年て。
シャーデーいま64歳っすよ。
まー年齢は別に関係ないし、相応に時間が過ぎればあたりまえだけど(笑)
まともに聴きだしたのが二十歳ぐらいの時で武道館来日公演も行きましたけど、ファースト出してから今までで計6枚しかアルバム出してないのは改めて驚愕というか寡作というか。
本人は「商業的に成功するためだけに作りたくもないアルバムを出すようなことはワタシはしない」と豪語してますが、実際その通りにして出るアルバムほとんどヒットしてるのは有言実行も甚だしい。
まあそんな人だからかなんかのインタビューで、マドンナは好きじゃないみたいなこと言ってたんですけど対極にあるような存在だからしょうがないのかなと(笑)
この人の音の特徴は「最小限で意味のある有効な音数で最高のクオリティーの音楽を提供する」ということだと思うんですけど、これはホントにそういう曲を世に出し続けてるのですごいと思います。
若い時にマーヴィン・ゲイやカーティスメイフィールドをよく聴いてたことも詩の内容や曲調にも大きく影響を与えているのは頷ける。
92年に出た「Love Deluxe」が最初に買ったアルバムだったと思うんですけど、2個目の「Cherish The Day」とかは出だしのギターとかこんなアプローチ良く思いつくなって感じのフレーズで、ベースは90秒経ってからやっと出てきてワンフレーズがずっと続く・・というようなスカスカの曲で、でもそれが逆に空間を思い切り感じられて音がそれぞれ際立つんですよね。
スゲーな・・・と素直に思ったのをよく覚えてます。
PVでシャーデーがゴールドトップのレスポール持ってるのもカッコイイ。
本来はこのファーストでしょっぱなから売れたこの曲が代名詞ってことになるんでしょうけど、だいたい全部聴いた身からすると、この人のアルバムは回を追うごとにだんだん磨かれてゴージャスになっていく気がする。
曲調とか世界観はほとんど変化ないんですけどそう感じるのはなぜなのか。
思うにたぶんですけど、シャーデーの見てる方向も音の作りも変化はないけど、彼女自身の内面がずっと進化して変化していってるからなんでしょう。
そんな気がします。
なのでアルバムはどれから聞いてもいいと思いますけど、順に追ってったりするとシャーデーのここまでのプロセスを感じられてより好きになるかもしれない。
夏に合うと感じるのは完全に個人的な感覚ですけど、彼女の声が広い空間のなかで使われてる大理石の冷たい心地よさみたいな印象をイメージさせられるからかなと勝手に思ってます。
<続く>
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