「昭和」が終わりを迎えているのかもね

雑感

ども小池整体コイケタロウです。

 

平成も30年経って来年には新しい元号になるということですが、最近起きてるいろいろな事件や流れを見てても、なんだかいわゆる「昭和」という時代の終焉を感じざるを得ない。

「世代交代」とはよく言いますが、なんとなく自分にはあんまり関係のない言葉のように感じてたけどもうそろそろそんなに遠い言葉じゃなくなってきてるのかもしれないなと。

日大問題・ボクシング協会・体操協会なんかが最近急にクローズアップされて目立ってるけどこれはわかりやすいところが出てきてるだけで、まだまだこれから時代というか昭和の膿が出尽くしてくる流れになってくるのかもしれない。

絶対権力者が封建制を敷いて組織をまとめ上げる、という構図って昭和初期から戦後の復興まで必要な時代だったと思うし、逆にそうでなければ国民の総力をスゴイ発揮して盛り返すことは無理だったと思うんですよね。

そこにはまあほかの国とかいろんな要素も絡んでるから一概には言えないのだけれど、ともかく細かいことや少々の個人の尊厳は二の次にして突っ走ることで世界に並ぼうとする力を発揮しようというのは当時意味があったと思うわけで。

昭和は1926年からはじまってるので、現在で約90年。

元号なんて天皇が変われば変わるので、そこに大きな意味はないのだけれど昭和が終わって30年、そろそろその匂いが薄れてきて時代は次に移り変わろうとしている。

 

ワタシの好きなお笑いにしても最高に好きだった「たけしのお笑いウルトラクイズ」とか今の子は下手したら何が面白いのかわからない子もたくさん出てきてるんじゃないのかなぁ。

出演者は当然リアクションのお笑いとして自覚してるしインパクトありきの時代だったけど、まあこれなんかどう考えても虐待でしかないですから・・・(笑)

そういう意味ではワタシなんかの年代もヘタするとそろそろ感覚が古くなってきてるわけです。

なんかね、そういう感覚の違いというのを最近特に気を付けて感じるようにしている。

自分の感覚に照らし合わせて「違う」というものを往々にして人は拒否や批判するものだから。

「若い人に合わせないと」というのとちょっと違うんですけど、やっぱり「流れ」ってあるから、自分の感覚自体はなかなか変化するもんではないので自分の感覚で楽しんだり過ごせるところは勝手に存分にやればいいけど、そこは尊重しつつ新しい所も同時に見て行くというか。

そうでないとただの「老害」にしかならないですよ。

最近のスポーツがらみの問題はすべて老害だし、ほかのふり見てもわがふり治せない学習能力の低下の典型だから問題がどんどん大きくなってしまう。

役割を終えた崩れゆくものにしがみつくと崩壊の度合いはさらに拡大しますよね。

そういうことが起きてるんだと思う。

 

個人的にはいろいろひっくるめて「昭和」好きなんですけどね(笑)

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