そして時はまた過ぎ行く

LIFE

どもコイケタロウです。

 

22日の朝、起きるなりヨメが

「・・・お母さんから連絡来て山梨のおじさん(オカンの長兄・次兄は数年前に逝去)亡くなったって」

と言うのでびっくりしてオカンに電話して詳細を聞く。

もう2年ぐらい多臓器不全で病院で寝たきりで自分では食事もとれない状態でも頭はしっかりしてて冗談とかも前日まで普通に言ってたらしいのだが、深夜急変して朝方にはもう・・・ということらしく。

1日たって24日通夜の25日告別式ということだったので仕事のスケジュールをやりくりして金曜早朝1人でバイクで出ることに。

前日10時半ごろ床には着いたが眠れず多分12時ごろに意識を失って4時起きの5時出発の結構飛ばして8時に到着。

9時に出棺ということだったので少し余裕があって着替えて叔父の顔を見る。

元は大工でクマみたいな体の人だったのだけれど、信じられないぐらい痩せててちんまり棺に収まっていた。

クマみたいなときは祖母から出てきたとは思えないほど似てないなーと思っていたのだが、棺の中の顔は祖母そっくり。

そして違う角度から見たら祖父そっくり(笑)

なんというか、人間は現世から旅立つときは素に戻るものなのかな、と思いました。

 

焼き場に行って待つ間、久々に会ったいとこや叔母たちとそれぞれ話をしたのだけれど、まあさすがに昔話や今の話で盛り上がって湿っぽい感じはあまりなく。

いとこはみんなそれぞれ頑張ってて立派にやってるようで。

オヤジの親戚もそこそこはっちゃけてるけど、オカンのほうはまた別の感じでワイルドだったんですが・・・

正月におおぜい集まると最初はいいんだけど、酒が深くなってくると爺さん・二人の叔父・田舎の家の近くのおじさん、みんな目が座ってきて必ずひと悶着起きる。

クマみたいな二人の叔父が殴り合い始めたり、それを止めに入った祖母が叔父にどつかれて土間をゴロゴロころがっていったり、一晩7升飲んだ記録保持者のじいさんはグダグダになってウチのオカンに強制的に寝床に連れていかれてもまた起きてきて飲み始めてまた強制退去させられたり、じいさんが昔博打で家族を泣かしたもんだから賭け事が大嫌いな酔った次兄の叔父が自分の息子が遊びで花札でミカンを賭けたのを知って鼻血が出るまで殴ったり、それをまた叔母連中が総出で必死で止めたり。

ホントだったら子供に聞かせちゃいけないと今なら言われるような話も散々いとこ全員聞いてきたし。

もうね、なんつーか、字面だけ見ると教育上最低の親戚なんですが(笑)、ワタシはなんかそういう大人が酒に酔って大人げなくワーワーやってるのを見るのが意外に嫌いじゃなかった。

プロレス見てるみたいな感覚だったのか(笑)、なんか楽しかったというか。

でもそれはちゃんと止める人たちもいて、全員翌日酒が覚めるととてもいい爺さんや叔父たちだったからではあったからだとは思います。

勿論バイオレンスだけじゃなくてみんなで集まって飲んで笑って遊んでというのもたくさんあったから結構すごいことが起きても懲りずに毎年親戚は全員田舎に行き続けたんだと思いますけど。

夏はクマ叔父さん二人が丸太を切り出してすぐ近くの川をせき止めて天然のプールにしていとこたちを遊ばせてくれたり、冬はみんなでシャベル持ってサワガニを取りに行って持ち帰ってカニレースしたり唐揚げにして食べたり、春は梅の実を収穫するのを手伝いに行ったり。

 

悪いとこも良いとこも大人でも子供でも人間だからいろんな面があって、それがぶつかり合って経験して成長していくものというのを、毎年秘境のような自然の中で遊ぶのと合わせて学んだ気がします。

だから、ではないけど、私自身いわゆる人間の「ちゃんとしてない」部分を赦せる人間には成れているかなと思う。

全部グダグダでいい、というのではなくて、人間なんてみんなそんなにちゃんとしてないしできないもんよ?という余白に対する許容量というか、「まあいろいろあるよね」という感じというか。

そこはね、自分でも結構気に入ってるんです。

いとこたちもそんな一族で育っても今みんな道を外れずチャンとやってる。

やっぱりそういう人間的な寛容さのようなものを全員持ってるような印象は、話していてあらためて受けました。

だから教育って当たり障りないことばかりやってよろしくないことは見せないようにすればいい、ってことでは決してないと思う。

子供は自分で感じて自分で考えて自分で判断するものだと思うから。

まあだからと言って泥酔した大人の殴り合いを見せてもいいわけではないけども・・・(笑)

 

亡くなった叔父に苦労させられた叔母はどんな様子かなと思ったら、もう心配になるぐらい狼狽し憔悴しており。

叔父に文句ばかりいつも言ってる叔母でしたが、やっぱりなんだかんだ言って愛していたんだなと。

亡くなる少し前に病床で「俺は最高の嫁さんをもらった」と自分の娘(いとこ)に漏らしたそうですが、「そんなの初めて聞くけどちゃんと本人に言ってあげなさいよ!!」と言われてもにやにやするばかりでとうとう叔母には最後まで直接伝えなかったらしい。

照れ屋の叔父らしい最後だったのかもしれません。

 

2人で住んでた田舎の家はしばらく叔母一人で暮らすようですが1年後には東京のいとこの家で引き取る予定だとか。

そうなるともう近年朽ちていくか処分するかになっていくのでしょう。

長く続いた思い出も終わりの時はやってくるのだなと。

感慨深く帰京した、長い1日でした。

 

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